2018年2月17日 高原浩子:文・写真(WAVE UNIZON副編集長)
●菁寮へ
西海岸中部の街、嘉義を出て南下する。
北回帰線を越えたから、そこは熱帯だ。
列車に揺られて見ている午前中の明るい日差しは、台風の後の灼熱の再来を予感させる。
20分程度を車内で過ごし、降り立ったのは「後壁」という駅。
涼しげな印象を受けたのは、駅の佇まいのせいかもしれない。
駅舎の板張りの壁の白。透明なガラス窓。
ホームの屋根には瓦の黒。
色が交互に配されている背もたれ付きベンチの、水色と白。
そして何より、砂埃も全くないほどに掃き清められた駅の清潔な様子。
レトロ!とか、可愛い!とか、そんな感嘆符だけでは表すことができない、日日の実用と丁寧な手入れがあってこその佇まいなのだった。
ICカードの使える改札を通り抜け、さて、私たちの目的地、「菁寮」へはどのようにして行ったらいいのか。駅員さんに尋ねてみる。
「菁寮へはバスで行けますか」
「バスは本数が少ないよ。タクシーだね」
駅員さんは駅前へ出て、そこでおしゃべりを楽しんでいる人々の中へ。
おじさんと、おばさんと、おばあさんと、おじいさんとが6人くらい。
駅員さんはその輪の中のタクシーの運転手さんに話をつけてくださる。
私たちはスーツケースなどの大きな荷物を持っていたのだが、後壁駅には荷物預かり所(行李坊)がない。そこで駅前の商店に荷物を預かってもらえるか尋ねてみることにした。商店のおばさんもおばあさんも、同じおしゃべりの輪の中。
同じ場所にいる人びとが、当たり前のように一緒におしゃべりをしている、そのゆるやかな結びつきは、心に何だか名付けようのない小さな呼び水を起こす。
荷物の預かりをお願いしてみると、快く引き受けてくださった。
おばあさんは日本語をお話しになり、「台湾は初めてですか」、「台湾にお友達はいますか」、と語りかけてくださる。「最近では日本語を使うこともほとんどなくなりました」と言いながら、おばあさんは何度も同じ問いを繰り返してにこにこなさる。私も同じ答えを繰り返しながら、いつの間にかにこにこしてしまう。
●真昼の老街
タクシーで菁寮の街へ向かう道は、田園の中を通る一本の大きな道路だった。両側には背の高い街路樹が植えられ、それがどこまでも続いていく。
すっきりと整備されている印象だ。
15分程度で菁寮に到着。
ずっと黙っていた運転手さんが「ここからが老街」と言って降ろしてくれた。帰りに呼べるよう、携帯電話番号の印刷された名刺を手渡しながら。
着いたのは正午も近かったから、日射は容赦ない。
私たちは菁寮に関してほんの数軒のお店の情報を持っていただけだったので、通りを散策してみることにした。
少し歩き進んで思ったのは、「誰もいない」。
当然だ。熱帯の盛夏の正午に無用に通りを歩く地元民はいない。
その時突然、どこからともなく勢いよく飛び出してきた人影。
「手作りのお菓子です。試食してください。お店は向こうにあります。どうですか、お店に来ませんか」というようなことを言っているようだ。試食のケースを抱えて編み笠をかぶったお兄さんは、誰もいない通りに不釣り合いなほど営業熱心で、私たちに米粉せんべいを持たせてまた勢いよくどこかへ歩み去る。
通りの両側は歩道部分がアーケードになっていて、個人商店などが並ぶ。
エメラルドグリーンやピンクのペンキで塗られた壁、レンガ造りの柱。
ここはキューバかどこかの街か。
灼熱にそんな連想もよぎる。
●駄菓子屋
通りを進んでまず出会ったのは駄菓子屋。
色とりどりのお菓子やおもちゃやゲーム。小さなお菓子はケースや瓶に入ってお店の真ん中のショーケースや棚に。その側にはカードなども並ぶ。会計処の脇の壁には、くじ。
壁の高いところには少し大きめのおもちゃが鎮座する。
子どもたちはあれを眺めるのだ。駄菓子屋は子どもの場所だ。
きっと買ってもらうのではなく、買いに来るのだろう。
どんな時にあれを買うのだろう。
それを手に店を出る子の、晴れがましさを思う。
あれはいくらだろう、なんて、値段を確認しなくてよかった。
ずっと知らないままになることが、こんなにも満ち足りた夢をくれるなんて。
白い綿の半袖が印象的な店主のおじいさんは、静かに微笑みながら私たちにチューブチョコレートを売ってくれた。
●時計屋
続いて時計屋。
大小の古風な時計がどれも全てきっかり調整されていて、店内に秒針の音を響かせている。
表の日差しに比べて、暗いほどの店の奥から現れた店主は初め、母語で熱心に説明をしてくれていたのだが、私たちが日本人で言葉が通じないとわかると、驚くほどきれいな日本語に切り替えて案内を続けてくださる。
「これは日本時代の時計、これはフランスの古い時計。これは日本のムーブメントに台湾のケース…」。
「93歳です」
そう笑った店主の作業机には使い込まれた道具が置かれ、時計の針が何周したか計り知れないほどの時間、そう、確かに時間、というものがそこに可視化されていた。70年続く店のゼンマイ時計は4日から40日まで様々な周期を持っているという。12時ちょうど、時を告げる時計が一斉に鳴り出す。その正確さ、毎時確認されるその正時が、時計店の仕事の歴史そのもの、店主の人生そのものとなって、看板より強く、私たちに迫る。
再びどこからともなく、編み笠の菓子売り青年が現れ、同じ熱心さで、米粉せんべいの試食をすすめ、店に誘う。
●昼下がりの食堂
街歩きを続けているうちに午後は進み、いつか2時を半分も回っていた。
通りには相変わらず誰もいない。
ある軒先に、ちまきを作っている女性たちを見つけた。
もち米と豆に、具を取りまぜ、葉に包んでいく。
「これ、買うことはできますか?」
と、問うたのかどうか。何か必死でそれを伝えたのだと思うが、彼女たちは仕事の手を休めることなく、首を横に振る。出来上がったものは無いようだ。
仕方なく街歩きを続ける。
誰もいない。お腹すいた。何か食べたい。誰もいない。
そうして歩くうち、老街の外れに一軒の食堂が店じまいの掃除をしているところに出会った。
「何か、食べさせてくれませんか」
と、どうやって伝えたのか。店の女性たちは、ちょっと困惑しながらも、
「麺でいいか」
と聞いてくれた。
「ありがとうございます。お願いします」
と言って、もう逆さまになって卓の上に上がっていた腰掛けを下ろし、屋外の席に着く。
ああもう、なんてありがたいのだろう!
調理に取り掛かってくれた女性たちが、
「湯(スープ)も食べるか」
と言ってくれたのでありがたく注文する。
歩き疲れた足に、腰掛けの上のひとときは、それだけでも極上の清涼である。
休んでいたところへ運ばれてきたのは、皿からあふれんばかりの、麺。
この麺の美味しかったことと言ったら!
冷たい意麺の上にもやしがのっていて、醤油がかかっているだけのシンプルな麺。
モチモチの麺にさっぱりとした味付けは、つるりつるりとどれほどでも食べられそうな気がした。豆菜麺というのだそうだ。
続いて湯(スープ)が届けられる。これは麺とは対照的に、とろみのある熱々のスープ(羹)だ。豚肉、人参、しいたけ、たけのこなどが細かく刻んで煮込まれていて、たっぷりと深皿に盛ってある。
冷たい麺と熱い羹。とても優しい味がした。
食べるものがなくて困っている時に、びっくりするくらい美味しいものを食べさせてくれたお店の皆さんに何度もお礼を言って店を後にした。
満ち足りて。
●竹製折りたたみ椅子
通りを戻ると、ある四つ角の露地に、おじいさんが一人、竹製品を商っている。竹かごや竹笛やおもちゃなど、台の上にはいろんなものが並んでいる。それなのになぜか、オカリナを吹いて聴かせる。
その傍ら、路上に無造作に並べられていたのは、竹製の家具の数々。それ以前も台湾の竹製品はチェックしていて、ずっと探し求めていたから、すぐに夢中になった。その中にあったのだ。
腰掛けた時の背もたれの角度といい、足が地面に着く具合といい、まさに惚れ惚れする座り心地の竹製の椅子。さらには、その椅子が折りたためるというではないか。折りたたみの構造も、竹に切り込みを入れるなどして作られており、その機構の合理性に歓喜する。
そこには他にも、竹製の折りたたみテーブル、折りたたみ寝そべり椅子などがあって、カレンダーの裏紙のような厚紙に、太文字で数字を書いてセロハンテープで留めた値札が貼ってあったりなかったり。
さて一目惚れした折りたたみ椅子とテーブル。どうにか持って帰りたい。
どうやって運ぶかはとりあえず後で考えよう。椅子を4脚購入。
おじいさんが呼んだ近所の男性が、折りたたんだ状態の椅子を紐で縛り、ズタ袋に入れて持ち手を付けてくれる。
おじいさんは、オカリナを吹くときだけ、ちょっとひょうきんであったが、商売の途中はどうしてだか、がぜん寡黙な露天商だった。
ズタ袋二つに収まった椅子を携えて、さようならを言う。
●氷屋と郵局
老街の中心へ戻り、かき氷屋へ。
通りには誰もいないが、戸を開け放った店内には、街の人びとが何人もおしゃべりをしている。エメラルドグリーンと白の色彩が涼しい調度、天井の大きな扇風機。
みんな氷を食べているのかどうかわからない。ゆったりとおしゃべりが満ちている。それ以外の音はあまりない。
どの氷にしようかと壁のメニューを眺めていると、40代くらいの女性が日本語で説明を始めてくれた。これは小豆。これは芋……。
運ばれてきた氷は、普通のかき氷より粒が細かくて、雪のような食感。
そしてこの味。何だろう、何か懐かしい味…そう、ラムネだ。ラムネ味の氷。
この街の人びとは、眩むような日差しのそばに、こんな夢のような午後を持っているのだ。
さて私たちの旅に増えた大荷物について考えねばならない。
この竹製の椅子4脚を、どうやって運ぶのか。どうにかして、街の郵局(郵便局)から国際便で送りたい。旅はまだ始まったばかりなのだ。
そこで、先ほどメニューを教えてくれた女性に、
「どこかでこれを梱包する箱は手に入らないでしょうか」と相談してみた。女性がそのことを周りに話すと、その場にいた全員、本当に店主から客から、全員が総立ちになって、この4脚の運搬についてあれこれ考えてくれ、やがて男性たちがどこからか大きな箱を見つけてきてくれた。そしてその段ボール箱にズタ袋ごとぎゅうぎゅうと詰め、ちょっと脚が突き出ているけれど、透明テープで封をされた梱包荷物の出来上がり。
すっかり嬉しくなって、私たちはお礼を言って、箱を担いで閉局時刻が近づく郵局へと急ぐ。局には英語をお話しになる局員がいて、事情を説明しながら手続きをする。寸法、重量、書類などがチェックされ、どうにか無事、引き受けてもらうことができた。閉局5分前。
私たちは晴れ晴れした心持ちでかき氷屋へ戻り、身軽な姿を披露すると、その場の全員が拍手!
一緒になって喜んでくれた親切な街の人びとのおかげで、竹製折りたたみ椅子は無事に出立することができ、一週間後、日本に届くこととなる。
ご親切に感謝。
●菁寮をあとに
日の傾きが大きくなってきた頃、私たちは昼間、ここへ連れてきてくれたタクシーの運転手の名刺を取り出した。駅前の公衆電話から電話を掛ける。が、どうしても繋がらない。
そこで、電話の横に腰掛けていたお兄さんに声をかけて、「ここに電話したいんです」と公衆電話を指差した。するとお兄さんはタバコをふかしながら、自分の携帯電話を使って電話をかけてくれたのである。電話で話し終えたお兄さんは、ジェスチャーで「ここに居ろ」と指し示す。
何というご親切。
その時になって気づいたのだが、お兄さんは顔意外、見えているところ全面が、刺青で覆われているではないか。旅の同行者は「よりによってどうしてそんな怖そうな人に声をかけているのか」と驚いて、逃げようかと思っていたらしい。ただそこにおいでだったから、声をかけただけなのだけれど。
でももしかしたら一番驚いていたのは、お兄さんご当人かもしれない。
やがて街には続々と屋台が現れ、野菜などの露店も出始める。こんなにたくさんの人がこの街のどこにいたのだろう。そしてこの活気は。
宵から始まる熱帯の小さな街の賑わい。日中の静まりを思い出すのが難しいほどの熱気が街を包み始め、結局、この街はきっと一日じゅう、あついのだ。
それがどんな様子か、本当のところはわからない。タクシーが着いた時、お兄さんは「ほら来たぞ」というようにタクシーを指す。気にしてくれていたのだ。
「ありがとう」と言うと、照れくさいのか目を合わさずに片手を上げた。
Ⓒ WAVE UNIZON, Hiroko Takahara 2018