オキナワから眺めるチャイニーズカルチャー

寺尾ブッタさんは、日本のライブハウスやインディーズ・レーベル界隈で良く知られた著名な裏方である。台湾や中国、中国語圏を中心とするアジアの多地域と日本を、音楽コンサートや音楽出版の形で繋いでいる。では、その寺尾さんはなぜ中国語圏の文化に魅力を感じ、どのようにして没入していったのか。寺尾さんが音楽系メディアではこれまで語っていない、より深い過去を語ってもらった。
台北港から、中国に渡る船が出ている。留学中、旧正月の長い休みを利用して一時帰国していた私は、福州へ戻るときにその船を利用した。台湾に詳しい友人や、台湾出身者にその船の話をしても、「台北から中国に船が出ているなんて、本当に?そもそも、台北港なんて聞いたことがない」と、言われた。私は確かに、2018年の2月、台北港から船に乗り、台北から西へ約150キロの地点にある中国福建省の平潭島へ到着した。約3時間の船旅だった。
留学する少し前の2017年夏ごろ、元同僚で友人である研究者が紹介してくれた中国伝統劇の研究者が、長嶺亮子さんだった。私が留学した福建師範大学の海外教育学院中国語コースに、約15年前に留学し、また、私が住んだ同じ寮で生活していた人である。長嶺亮子さんとは、これまで何度か沖縄県内の中華料理屋で、台湾、中国、アジア等、主に中華をキーワードにいろんな世間話や情報交換をさせてもらっている。が、これまで長嶺亮子さんと何度もお会いしておきながら、バイオグラフィについて伺う機会がなかった。場所は沖縄市久保田の中華料理店ジャスミンにて、これまでの研究や活動について話してもらった。
アジアの表現者にインタビューを続ける山本佳奈子さんが、中華圏の文化について、あらためて沖縄から眺めます。その第1回はエッセイ『私の中華料理店症候群』。  ●チャイニーズ・レストラン・シンドローム  ●アジアにおける”自由”? ●中華圏を、俯瞰する。