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『本のお茶』を味わう/ヒビノケイコ

 

文・写真:ヒビノケイコ

(Art life designer/エッセイスト)

 

 

本のお茶

 

抄訳・文:川口葉子

写真:藤田一咲

企画・編集:三枝克之

 

角川文庫

定価 734円(本体680円+税)

2017年12月21日発売

 

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「こんにちはー!」

 

 

 

高校から帰って、そのままバタバタ着替え、先生のお家へ走る。

汗ばんだまま元気良く扉をあけると、先生はくすくすと笑った。

 

 

 

「部活ではそれでいいけど、茶道に来るときは、もう少し、たおやかな言い方でごあいさつしなさい」

 

 

 

 

元気で活発な子だったら、とりあえず大人はオッケー出してくれる!と思っていたわたしは、顔を真っ赤にしつつ、やわらかな声に改めた記憶がある。

 

 

 

・・・

 

 

 

先生の茶室は大きな竹林公園の前にあって、池の水面には緑が爽やかに揺れていた。

 

 

茶室では、こぽこぽと釜から溢れる音。

 

 

 

小さな姿に、ぎゅうっと自然を凝縮したような季節ごとの和菓子には、「わあ!」と、いつも驚かされる。

 

 

夏は涼やかに、冬は重厚に、器が移り変わっていくのも楽しい。

 

 

そして、いつも変わらない甘くてほろ苦い抹茶が、すべてをどしっと受け止めてくれた。

 

 

 

ヒビノケイコ

 

 

“茶道の本質は不完全なものを尊ぶことにあります。

 

 

 完全なものが存在しないように

人生と呼ばれるこの場所もまた、思うにまかせないもの。

ままならない日々を生きながら、心を澄ませて

「せめて私にできることをやりとげてみよう」と

やわらかな挑戦を試みること。

それこそが茶道の精神なのです。”

 

 

 

本のお茶』には、こんな文章があった。

 

 

 

京都から高知の山奥に移って12年。

子育てや出張で忙しい日々のなか、お茶をいれて飲むことだけは、大切にしている。

 

 

 

 

・・・しかし、心を澄ませて生きて行くことって、難しいよねえ。

「いっそ鈍らせ、濁らせてしまいたいなあ」なんて思うことさえあるよ。

 

 

 

世の中で起きていることや、ネットで流れるあれこれ。

そういうものを見ていると、殺伐として、人間でいることがバカバカしくなり、本当にもう嫌だなって思う。忙しい仕事に追われる時には、心に隙間がなく、きゅうっと狭まることもある。

 

 

そんなせわしなさや葛藤を抱えながらも、作業の手を止めて、しゅんしゅんと湯を沸かしはじめる。

 

 

 

午後の黄金色の光のなかで、湯気があがる。

 

 

 

並べられた缶の中にはコーヒー、抹茶、裏山で採れた山茶。

烏龍茶に紅茶、ハーブティー。

 

 

 

今日はこれにしようかな。

 

 

 

選んだ茶葉をザッとポットに入れ、湯を上からこぽこぽ・・・注ぐ。

香りがやってきた瞬間、蓋をしめる。

二階のアトリエへとんとん、と階段を上がって、カップにお茶を注ぐ。

 

 

ふ~。

 

 

 

気がついたらさっきまで考えてたことはいったん忘れて、 何もない空間に入っている。

 

 

あ、緑がきれい。こんなに花が咲いていたっけ・・・

窓からの景色にも気がつく。

 

 

 

 

ヒビノケイコ

 

 

「場を開く」というのは、きっと、自分の中にも場を開くことなんだろう。

 

 

 

お茶はおもてなしにも使われ、人と人のあいだにある空間とも言えるけれど、一服のお茶をいれて飲む時間をとることで、自分の中にも「場」を開くことができる。

 

 

この「場」とは、人間世界に揉まれ、こちゃこちゃと動いてる自分を、違う場所から眺められるような空間だ。

 

 

その時空に移動することを助けてくれるのが、お茶の時間。


空間の中では、思いつかなかった新しい考えが、ふっと浮かんでくることもある。

 

 

 

そして、思い出す。

 

 

 

“ままならない日々を生きながら、心を澄ませて

「せめて私にできることをやりとげてみよう」と

やわらかな挑戦を試みること”

 

 


これだけは、自分さえ意識すればできる、ということを。

 

 

 

余白というのは、いつかの未来に預けるものではなく、いつだって自分の中に生み出していくものなんだ。周りの喧騒ではなく、自分の中に在り処を戻せば、力はまたじわじわとみなぎってくる。

 

 

 

 

ヒビノケイコ

 

 

太古の昔から闇があれば光があり、醜いものがあって、美しいものがある・・・

 

 

「乱世の中でも、こんな風に世界をとらえた人たちがいるんだ」と茶人に想いを馳せるだけで、ちょっと心が軽くなる。

 

 

 

 

ほんとうに話したい話題を、心ゆくまで話せる友達と出会うのはなかなか難しいけれど、本の中では、いつだって、気の合う友達と対話することができるのだ。

 

 

 

 

本のお茶』の中には岡倉天心が住んでいて、わたしたちを待ってくれている。

 

 

 

紙をぱらりとめくるたび、お茶空間に、そっと入っていくような感覚。

写真と文章の余白は、静けさへの誘導になっている。

 



 

“お茶は、はじめは薬として用いられ、

のちに飲みものとして愛されるようになりました。

八世紀の中国では、お茶は風雅な遊びとして詩歌の域にまで高められ、

やがて十五世紀の日本において、美をきわめる宗教になりました。

すなわち茶道です。”

 

 

 

そう、何気なくまいにちの中でたしなむ。

そんな本やお茶は、薬であり遊びであり、

そして心の風穴をあけるものなのかもしれない。

 

 

 

 

ヒビノケイコ

 

 

茶道をはじめたあの頃から、もう20年。

のらりくらり、細々と続けている。

 

 

 

浮かれているときも辛いときも、仕事で成功したときも失敗したときも、お茶空間はいつでもそこにある。

 

 

 

「まあ、いっぷくお茶でも飲んでいきなさい」

 

 

 

 

— 今日も、わたしはわたしに言ってあげられるだろうか。

何もない空間を、迎えてあげられるだろうか —

 

 

 

 

自然の移り変わりのように、変わるということ。

そして変わらないということ。

いっぷくの静けさは、いつもわたしたちの居場所になってくれる。

 

 

 

 

 

忙しい日も、殺伐とした日も、あたたかな日も

お茶の時間だけは、暮らしの中にひそませて。

 

 

 

 

 

 

Ⓒ WAVE UNIZON,  Keiko Hibino  2018