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ノスタルジック台湾

20171210日(旧暦1023日/下弦)

 

WAVE UNIZON 編集長/CAFE UNIZON 店主  三枝 克之

 

1:日本から沖縄へ

 

ノスタルジーはどこから来るのだろう?

自分の生まれ育った故郷やそこで暮らした時代に、「望郷」や「追憶」の念を抱くことは当然だろう。しかし一方で、初めて訪れた場所や、自分が生まれる遙か以前の時代を懐かしく感じることもある。それは自分の血やDNAが騒いでいるのだろうか? あるいは、前世の記憶とやらの仕業であろうか?

 

僕が沖縄に移り住んだのは、14年前。沖縄には1984年から何度も旅行に来てはいたが、ある年、ふらりと入った居酒屋のBGMで古い沖縄民謡を耳にしたとき、ふいにノスタルジーに囚われて、ひとり涙をこぼした。そのときにいつかは沖縄に住もうと決意した。その強烈なノスタルジーの理由を知りたいと思ったからだ。

 

僕の母親は奄美の離島の出身で、僕は幼少時から何度かその島で夏を過ごしたことがある。奄美といえども、そこは琉球文化圏の北端で、言語も音楽も奄美より沖縄本島に近い。母方の親戚が集えば、島言葉が飛び交い、唄三線でみんな踊った。体型も南島系のガタイのいい者が多く、テレビでポリネシアの島々のダンサーやラグビー選手を見るたび、なんとなく親しみを覚えたものだ。だから沖縄自体に縁者はなくとも、自分の原風景やルーツとしてノスタルジーを感じたのも不思議ではない。

 

しかし、沖縄に暮らし始め、沖縄の文化を知れば知るほど、僕のノスタルジーのありかが、単に僕個人の身近な血縁や記憶に因るものではないと気づいた。沖縄学や各分野の専門家、あるいは多くの芸術家が指摘するように、沖縄は日本文化の古層を残す地だ。言語や伝統文化、行事や信仰をはじめ、暮らしの隅々にある「沖縄らしさ」の中に、日本が失ってしまった古代の匂い、海洋民族の名残を留める。それが僕のノスタルジーのもう一つの源泉ではないだろうか?

 

となれば、次の命題は、「沖縄らしさ」って何? そしてそれらはどこから来て、どうやって育まれたのだろう?ということになる。もちろん、そんなことは本を読めば、いろんな人がいろんな角度から解説してくれている。ただ僕はそれを「沖縄での暮らし」という「日々重ねる旅」の道中で、自分自身の魂の反応として体験してみたかった。

 

 

2:沖縄から台湾へ

 

ところがここ数年、沖縄から「沖縄らしさ」が急速に失われつつある。僕のほうが沖縄での暮らしに慣れ、新鮮な視点を保ててないのかもしれない。また僕自身も内地からの移住者として「沖縄らしさ」を消している一因との自責もある。ただ、それ以上に沖縄の風景や生活文化の日本化は急速に進んでいて、それは沖縄にとって良いことかどうかはさておき、僕個人はとても寂しい想いを抱いている。

 

そんなときに訪れたのが、台湾。ごはんもスイーツもおいしくて安いし、交通も便利だし、治安はいいし、これほど旅しやすい外国はない。しかし僕が台湾に惹きつけられたのは、そこがことあるごとに強いノスタルジーを感じさせてくれる島だから……。かつて沖縄を旅していたときや住み始めたころに感じたあの感覚だ。台湾があくまで異文化の島であることは間違いないのだが、亜熱帯〜熱帯の気候風土、島民気質ともいえる優しさや人懐っこさといった共通点に、沖縄が失いつつある「昔ながらの沖縄」が垣間見える。また日本統治時代のまま残された建物やその時代を経験したお年寄りの話からは、自分の知らない時代の「懐かしい日本」さえ感じる。

 

台湾の市場は、ひと昔前の牧志公設市場やその界隈の雰囲気そのもの。弁当を買えばごはんの上におかずが載っているのも沖縄と同じだ。そしてそのごはんは必ず温かい状態で売られるというのは、沖縄のコンビニで初めておにぎりを買ったときに、「おにぎり温めますか?」と聞かれて驚いたことを思い出す。僕と同じころかそれ以前に沖縄に住んだ人に、このところ台湾に通いつめる人が多いのは、僕同様に「昔ながらの沖縄」を感じたいという理由もあるのではないだろうか?

 

台湾への旅を重ねることで気づいたのは、いかに自分が「沖縄らしさ」を片面からしか見ていなかったか、ということ。視点はつねに日本からで、日本の南西端エリアとして見てしまっていたのだ。しかし台湾という、沖縄よりも南方の島から見れば、また新たな「沖縄らしさ」が見えてくる。頭ではわかっていたつもりでも、この差は実感として大きい。地理的な距離でも、心情的な距離でも、風土の似通った部分でも、台湾のカルチャーには沖縄カルチャーへのヒントが、日本を見るよりも多くあるように思う。ここ数年、沖縄カルチャーの発信者たちが、台湾の人たちと交流を深めているのは、とても自然で有意義な流れだ。

 

 

3:オーストロネシア

 

そして僕がもう一つ強く惹かれるのが、台湾の原住民族(台湾では先住民族のことを公的にこう称する)の存在。

 

南島語族とも呼ばれるオーストロネシア語族は、台湾からインドシナ半島、マレー半島、フィリピン、インドネシア、マダガスカル、そして太平洋上のミクロネシア、メラネシア、ポリネシアの島々まで広がる、同じ言語体系に分類される民族だ。彼らは高い航海技術を持ち、島から島へと波を越え、海を渡り、移動していった。そしてその一群は黒潮に乗り、沖縄の島々や日本の太平洋岸にもたどり着いたとされる。

 

そのオーストロネシア語族のもっとも古い言語祖型を持つのが、台湾の原住民族の各言葉。つまり、東南アジアからマダガスカル、そしてハワイやニュージーランド、イースター島までたどり着いた人々の祖先は、台湾から出発したと考えられるのだ。何というロマン溢れる話だろう。確かに素人目にも、台湾原住民族の博物館で見る守護神の造形や民族衣装、装飾品、またかつてあったタトゥーや首狩りの風習は、太平洋の島々の民族との類似性を感じさせる。

 

近代の牡丹社事件(遭難して台湾に流れ着いた宮古島の人々が台湾原住民に殺害され、日本の台湾出兵の契機となった事件)などは別にして、古代の琉球人と台湾原住民の関係がどんなものだったのかは未だ勉強不足だが、琉球原住民の祖先の一部は、きっと台湾にいたオーストロネシア語族の祖先なのだろう。台湾原住民のアミ族と親しい台湾人の知人に、沖縄にも昔は「針突(ハジチ)」というタトゥーの風習があったことを教えると、その文化的共通性に驚いていた。また宮古島の奇祭「パーントゥ」も、マレー半島のある部族で精霊を「パントゥ」と呼ぶことと関係があるのかもしれない。

 

こう考えると、僕が母方の親戚の体型を見るにつけ、ポリネシアのダンサーやラグビー選手に親近感を覚えたのも、なんとなく合点がいくような気がする。台湾はこのような巨視的な視点からも、ノスタルジーを抱かせてくれる土地なのだ。

 

 

4:いとこ同士

 

かつて沖縄が「琉球国」として中国に朝貢していた時代、台湾は中国から「小琉球」と呼ばれていた。そして沖縄が「大琉球」。島の大きさに相反したその呼称の理由は諸説あるが、いずれにせよ中国から見れば、沖縄と台湾はどちらも「琉球」だった。

 

台湾と沖縄は、ともに日本と中国を親としつつも、それに翻弄されてきた歴史がある。そんな島民のアイデンティティの悩みや似通った気候風土も含め、この二つのエリアの関係には、まるで「いとこ同士」のような親近感があるように感じる。事実、台湾で「どこから来たのか?」と聞かれ、「日本から」と答えるときと、「沖縄から」と答えるときでは、反応が違う。「沖縄から」のほうが話す距離がグッと近づく気がするのだ。

 

そして台湾での旅を終えて空港で飛行機に乗るとき、僕は毎回こみ上げるノスタルジーに涙がこぼれそうになる。台湾での沖縄行きの便の漢字での行き先表示は、今も「琉球」。この表示を見たいがために、僕はまたすぐに台湾に行きたくなってしまう。

 

台湾カルチャーに触れる旅。台湾と沖縄のカルチャーを結ぶ旅。そして台湾で沖縄や日本のカルチャーを考える旅。そこにはノスタルジーというものがどこから来るのか、そのヒントがあるのではないか? そんな想いを持ちながら、『UNIZON的台湾博覽會』を綴ってみたいと思う。

 

 

Ⓒ WAVE UNIZON,  Katsuyuki Mieda  2017