2018年3月27日(旧暦2月11日)
WAVE UNIZON 編集長/CAFE UNIZON 店主 三枝 克之
1:喫茶時光

喫茶店ブームである。
そしてコーヒーブームでもある。
ひと昔前はカフェブームと呼ばれていた。
消費主義社会というものは、少しずつフレイバーを変えながらブームを作っていくわけで、今この時代に生きている以上、熱中の度合いの差こそあれ、誰しもがその一端を担っていたり、末席に列している。
もちろんそれは悪いことではないし、ブームとそれからの淘汰によって、モノもヒトもコトも洗練されるのだと思う。
が、広く「喫茶」ということに関していえば、人間はもうずっと長い間「喫茶ブーム」の中にあるともいえる。
コーヒーは15世紀には中東・イスラム世界に広まり、17世紀にはヨーロッパ全土、そして北米にも伝播した。
お茶はさらに古く、唐の時代には陸羽(りくう)という人物が『茶経』なる「喫茶本」を著しているし、イギリスでは18世紀にはすでにアフタヌーンティーの習慣が定着している。
1773年のボストン茶会事件は、アメリカ独立戦争のきっかけにもなった。
コーヒーもお茶も、薬としての歴史はそれよりさらに遡るだろう。
しかし少なくとも「嗜好品」として庶民が楽しむようになって以降は、洋の東西を問わず、人々がこの「喫茶ブーム」から醒めたことは一度もないのだ。
なぜ人々は、幾ばくかの薬効はあるにせよ、「生活になくてはならない」とは決していえないこれらの飲み物に、「生活になくてはならないモノ」としての価値を与え、熱狂し続けてきたのだろう?
そしてそれを楽しむコトを、「生活になくてはならない時間」として割いて、それぞれの国に独特な「喫茶文化」といえるものにまで昇華してきたのだろう?
日本ではなんと「茶道」という美の宗教まで誕生している!
2:2冊の喫茶本

たまたまこの数ヶ月の間に、僕が企画を担当した「喫茶本」が2冊続けて刊行された。
1冊は、12月末に角川文庫から刊行された『本のお茶』という本。
100年以上前に岡倉天心が英語で書き、世界中でベストセラーとなった『茶の本/The Book of Tea』を、カフェでお茶でも飲むように気軽に楽しんでほしいと、ビジュアルブックとして編集したものだ。
抄訳とエッセイをカフェエッセイストの川口葉子さんに、写真をフォトグラファーの藤田一咲さんにお願いし、テキストと写真が並走するように構成した。

もう1冊は、2月にリトルモアより発売になった、個人焙煎家のパイオニアである中川ワニさんによる『家でたのしむ手焙煎(ハンド・ロースト)コーヒーの基本』。
コーヒーにもそれぞれのおうちの味があっていいのでは?と、家庭で手軽な道具(ザルとコンロ)を用いてコーヒーを調理(焙煎)するためのレシピを紹介した本である。
結果的には喫茶店ブームにも、コーヒーブームにも便乗しているわけだが、僕個人の話でいえば、『本のお茶』は10年前に出版した単行本が、このタイミングで文庫化の機会をいただいたということ。
また『家でたのしむ手焙煎コーヒーの基本』は、今のコーヒーブームに対して漠然と抱いていた「違和感」「不自由さ」に対して、12年前の<カフェユニゾン>創業時からのお付き合いである中川ワニさんの「コーヒーをごはんを炊くように調理する」という考え方が、とても腑に落ちるものだった。
だからそれを紹介したくて企画した、僕にとってはある意味、「アンチ・コーヒーブーム」な本ともいえる。
3:喫茶に浸る

とはいえ、そんな2冊の「喫茶本」の刊行が重なったのも何かの機縁。
3月20日には中川ワニさんを沖縄に招いてのイベントも企画し、そこから日本初のスペシャルティコーヒー、沖縄県国頭村産の安田珈琲(あだコーヒー)を中川ワニさんが焙煎するというミラクルなコラボレーションまで実現した。
おかげでこの数ヶ月間は、「喫茶文化」「喫茶時間」にどっぷりと浸った日々でもあった。
なのでこのタイミングで、あらためて「喫茶」についてトピックを組んでみたいと思った次第である。
僕自身、父がコーヒーマニアで、家でサイフォンコーヒーを淹れて飲んでいたこともあり、小学校低学年から朝食にコーヒーは欠かせなかった。
学生時代、会社員時代は、勉強も仕事も、喫茶店でやるほうがはかどった。
フリーランスになってからは、アジアやヨーロッパやアフリカに「お茶」をしに行った。
訪ねた国々それぞれに魅力的な「喫茶文化」があり、人々は豊かな「喫茶時間」を楽しんでいた。
岡倉天心の『茶の本/The Book of Tea』に初めて触れたのもその頃だ。
そして今では自らカフェを経営するハメになった。
かれこれ40年以上、僕の「喫茶ブーム」は続いているというわけだ。
そしておそらくそのブームが終焉することは、生きている間はないと思う。
人々はなぜ「喫茶」することを愛おしむのだろう?
さまざまな国で「喫茶時間」がこれほど大切にされている理由はどこにあるのだろう?
そこには文化比較としての興味も湧くし、コミュニケーションへのヒントもあるように思う。
しかしそれ以前に、千利休の言葉を模して、こうも思うのだ。
「人生とは、ただ湯を沸かし、茶を点てて、
飲むばかりなるものと知るべし」
Ⓒ WAVE UNIZON, Katsuyuki Mieda 2018
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